雑学

【シュール】シュールと言われておよそ10年。改めてシュールについて勉強してみる。

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こんにちは。

私は、現在21歳の大学生をしています。

今回この記事を書こうと思った理由が、

中学校に上がってから、たくさんの友達ができた時に日々過ごしていく中で「シュールだね」「シュール過ぎ」などと言われることが多くなってきたことです。

その当時から意識せずにそう言われていて、子供ながらに周りとは「少し違う自分」というのに対して劣等感と自分は少数派だ、というほんの少しの特別感を感じていました

それからおよそ10年経ち、今では「シュール」という言葉をかけられても特に興味を示さなくなりましたが、最近ふと「シュールとは」というざっくりとした問いに対して深く考えるようになりました。

この記事を読んでわかることは、今後の皆さんの「シュール」に対しての向き合い方です。

最後まで読み切って時間の無駄だったなんていうクレームは一切受け付けませんので、そこのところはよろしくお願い致します。


シュールの意味を分かりやすく理解するために

まず、どんなことを勉強するにあたっても、大切だと言えることはそれについての歴史を知ることです。

なので「シュール」という言葉の歴史を探っていきます。

シュールとは

そもそもシュールとは、「シュールレアリズム」の略であり、これを日本語に訳すと「超現実的主義」と訳されるフランス語からきています。

初めてこの言葉を使ったのは、フランスの詩人ギヨーム・アポリネールであると言われています。

超現実的主義と言われてもピンとこない方もいると思うのでさらに詳しく書いていきます。

シュールレアリズムとは

シュールレアリズムというのは、1920年にフランスで行われた芸術運動の言葉で、超現実というのは、現実を超える、つまり非現実的なありえない現実のことを言います。

第一次世界大戦中にフランスの作家アンドレ・ブルトンは、当時のフランスではあまり有名ではなかったフロイトの心理学に触れ、「人間にとって意識は氷山の一角にすぎない」「夢こそが願望の充足である」というその深層心理学に大きな影響を受けます。

そしてブルトンは、理性によって支配された現実世界ではなく、夢・幻想など潜在意識的な世界を表現することで人間の開放を目指すという思想を「シュールレアリスム宣言」として発表しました。

この芸術運動では「まるで夢の中を覗いているような独特の現実感」を持つ作品が数多く創作されたのです。

有名な画家で言うとサルバドール=ダリの絵画です。記憶の固執(図下)茹でた隠元豆のある柔らかい構造(図上)などは美術や芸術に疎くても見たことはあるのではないでしょうか。

 

 

このように、物事や言動・体験の様子が「超現実的で・不条理・奇抜・難解」そういった時にこのシュールという言葉が使われます。

シュールレアリズムに影響を与えられた日本人

この芸術運動であるシュールレアリズムは日本の芸術家にも影響を与えました。

西脇順三郎や友部正人といった詩人たちがシュールレアリズム宣言に影響を受けた詩を発表しています。

また、小説では阿部工房、漫画ではつね義春の「ねじ式」などにおいてシュールレアリズム的な表現が見られました。

シュールは褒め言葉?悪口?

続いてシュールは褒め言葉なのか悪口なのかという部分においてですが、基本的には褒め言葉と思って受け止めましょう。

なぜなら、他の人にはあまりない考え方ができるということだからです。

普通の人なら思い付かないような行動や言動が思い付いたり、それのおかげで新しい何かを発見したり、周りの人に良い影響を与えることができます

しかし、一方でシュール、というのは一般的な考えができない、と言われているような感じもします。

独特な、現実離れした発想で考えてしまうから、現実のことを考えられず、意見を聞いてもらえなかったり、相手にされなかったりすることが多いようです。

なので、一般的な知識や教養は身につけておくべきだと思います。

ただ、しかしシュールを極めたいというのであれば、そういったものに縛られず、私と一緒にシュールを追究しましょう。

現代ではどのように使われているのか

現代では、シュールレアリズムという単語ではなく、「シュールな」という形容詞的な使われ方をすることが多いです。

お笑い芸人の現実的ではない発言に対して、「シュールなボケ」、あり得ない設定に対して「シュールな設定」というようにただただ現実離れしているという意味で使用されることが多いです。

本来の「シュールレアリズム」とは別の意味を持つ言葉になっており、まさしく、シュールレアリズムからレアリズムがなくなった状態です。

今後、日本人の「シュール」との向き合い方

最後になりましたが、今後、日本はどのようにして「シュール」と向き合えば良いのかについてです。

これは正直、言葉にするのが難しかったですが、ここまで読んでいただいた皆様のためにもしっかりと書き記したいと思います。

まず前提として「シュール」という言葉に対して日本国民全員が向き合わなければなりません。

ある日は、「シュール」という言葉と喧嘩をしたり、また別の日には嫌な思いをさせられたりすることもあるかもしれません。

ですが最も大切なのは、

必ず自分から逃げてはいけない。

ということです。

毎日毎日、いろいろな角度から「シュール」と向き合うことで必ず向こうから歩み寄ってくる日が来ます。

その時が来たら、目一杯愛して、感謝しましょう


ABOUT ME
小椋 仁
コラムニストとして新聞掲載を目指している物書き・ライター。 現在はスーパーカブで日本一周しながら、あらゆるところで感じたことをコラムとしてインスタに投稿中。 ここでは心理カウンセラーの資格を活かし、心理学の追求、またそのほかの雑学や旅物語を綴っています。
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